実りの秋

1970年代の銀座の写真を見ました。街に若者が圧倒的に多かったです。ほとんど若者といっても過言ではありません。
それと比べると、現在の街には高齢者の方が多いですね。

自分が子供の頃を思い出してみると、近所に住む高齢者について、どこに住んでいるかを大抵の方は覚えていました。
「○○さんちのおじいちゃんに、公園で怒られたんだよ!」なんて会話が家庭でもありました。高齢者の数が少なかったからです。

1980年代に六十歳台というと、1920年前後の生まれ。太平洋戦争で従軍した年代にあたります。戦死した方も多いでしょうから、それでそもそも人数が少なかったのかもしれません。

それにしても、現在の街中の高齢者の数と言ったら、もう。
通勤時間帯でも高齢者に乗り合わせることは珍しくないです。決して悪いことではないのですが、ここまで多いと座席を譲るハードルが高くなってしまいます。

電車に乗るとほぼ必ずいらっしゃるので、自分の弱い心が叫んでしまうのです。
「元気な爺さんにいちいち席を譲っていたら、きりがねえぞ!」と。

以前読んだ何かの本に、人生を春夏秋冬に譬える考え方がありました。
非常に味わい深かったので、今でもその喩えが人生の指針になっています。

生まれてからの幼年期までが冬、幼年期を過ぎ少年期までが春、少年期を過ぎ青年期までが夏、青年期を過ぎ老年期までが秋、という考えです。

パッと聞いて違和感を覚えた方もいらっしゃるかと思います。幼年期が春で老年期が冬の順番ではないのか、と。

この喩えでは、幼年期には人生にはまだ何もなく、地に種しかない冬の時期である、と説きます。

少年期には様々なことが出来るようになり、友達もでき始めます。それが、芽が生え始め、虫たちや動物たちが冬眠から目を覚まし出す春である、となります。

そして青年期は交友や仕事を広げていき、自立していく時期です。それは葉が生い茂り、花が咲き、動物たちが活動を活発化させる夏にあたります。

老年期には、自分の築いてきた物や家族、友人に囲まれ喜びを謳歌します。これが実りの秋を表します。

この喩えに従えば、実りの秋を迎えるまでに、どれだけ種をまき、芽を育ててきたかが大事になります。そう考えれば、老年期にどのような実りに囲まれるのか、より喜びの多い未来のためにやるべきことが明確になると思うのです。

会社経営でも同じことです。社員たちが定年を迎える頃、ひとり一人が幸せな物や人間関係に恵まれ、「この会社で働いて良かった」と思ってもらえるようにすることが、経営者として最も大事なことだと思うのです。

健康寿命が大幅に伸びた今、実りの秋の期間は長いですから。

将来、当社の元社員のみなさんには、通勤時間帯にもかかわらず元気に街を徘徊し、通勤客に嫌がられる高齢者になってもらいたいものですね。

秩父で山に登るIT経営者より