量子力学の世界

ブログの締切日が過ぎ、三日が経ちました。
しかし、世界に変化はありません。
このまま、世の中は平穏に流れていくのでしょう。

たぶん、イササカ先生もそんな穏やかな気分だったことと思います。

最近の私は、似非科学的なことに興味を抱いています。
特に今、空想に胸を膨らませている分野は量子力学です。

量子力学の世界って、常識とかけ離れているんですよね。
物がどこに存在するのか、観測するまでは分からないのだそうです。
電子などの微粒子が存在する場所は、理論的に計算しても特定できず、確率でしか表せられないのです。

たとえば、私が家族に内緒でおじさんたちと遊びに行く場合を想定しましょう。
その時に一般常識では、遊びに行っている私がどこにいるのかは、その時点ですでに決まっています。野球なら学校のグラウンド、トレーニングで行く山なら武川岳、といった具合に。

しかし、量子力学の世界ではそうではないのです。私が遊びに行っている場所はグラウンド40%、武川岳60%といった確率でしか計れないとのこと。
ただし、妻がイマドコサーチで私の場所を観測すると、グラウンドだったらグラウンド、山だったら山に存在が収束するのです。

観測してはじめて場所が特定され、それまでは存在が重ね合わされている。わたしは妻に観測されるまで、グラウンドと山に重なり合って存在していたということになります。この辺が全く理解できない部分でもあり、現在でも解明できていない現象でもあるそうです。

そういった現象を解明するために様々な仮説は挙げられているようですが、その仮説の一つに、世界が複数存在しているという考え方、多世界解釈があります。

そこに似非科学が入り込む隙間があるのです。

多世界解釈というのは、世界は複数存在し、様々に分岐して干渉し合っている、といったイメージの世界観でしょうか。自分自身も複数存在している、ということらしいです。

人には過去、それぞれの場面において選択を迫られたことがあるはずです。その際に、今の自分が選ばなかった選択をした自分がいるかもしれない。

量子力学の世界では、そのような「別の選択をした自分」が存在する可能性を示唆してくれているのです。

あの時、あの株を満額買って、あの時に売っている自分…。ウハウハ…
ムネアツですよね。

しかし、観測しなければ存在は確率によってしか計れない、というのは現実世界でもあることです。

たとえば、会社の営業マンが営業に出ていくとき、外で何をやっているか、会社では全く分かりません。喫茶店で涼んでいる確率が40%、ユニクロで買い物をしている確率が40%、顧客訪問をしている確率が20%、といった感じで行動を想像するのみです。

だだ、どこにいるのかを定期的に観測すると、「顧客訪問」に必ず収束するんですよね。
不思議なものです。

さてと。ノリスケくーん、原稿出来上がったよ!

秩父で山に登るIT経営者より