早歩き
せっかちなのかどうなのか、通勤の際に抜かれることが、ない。
そのせいで、わが社の社員との外回りでは、どうも嫌がられる。
女性の社員などは小走りさせられると聞く。一緒に歩きたくはないだろう。
早歩きで良いのは移動時間が短くなることだ。
人混みにいることが苦手な私は、通勤などでも、なるべく早く移動を終えて目的地についてしまいたい。
ところが、そんな私に毎度、天敵が現れる。
混んでいる横断歩道で信号待ちをしているとき、私は人をかき分けてなるべく前に行くようにしている。皆遠慮しているのか、前の方にスペースが大きく空いていることが多いからだ。
信号が変わり歩き出すと、たいていは私の歩く速さが上回るため、何にも邪魔されずスムーズに移動できる。前の青信号で進んだ人の集団に追いつくまで、この快適な状況が続くのである。
ところが、である。たまに信号が変わるとすぐに駆け足で私の前に入り込んでくる輩がいる。
「急いでいるのかな。そのまま走り去ってくれるさ」、とのんきに構えようとするのだが、たいていは私の前で急失速して普通に歩きだす。
これが天敵である。
なぜなら、しばらく奴さんのペースで歩くことを強要されるからである。
横断歩道を超えると歩道の道幅が狭くなるため、その奴さんがなかなか抜けないのだ。抜くにしても、道にある障害物や前から来る人、奴さんなどの動き(たいていは左右にぶれながら動く)などトータルに確認しながら慎重に事を運ばなければならない。
しかし、奴さん、気持ちよさそうに道の真ん中を歩いてやがるなあ。おいおい、スマホみながら歩いてないか?何のために駆け足で前に出てきたんだよ?
怒りをぐっと堪える私なのである。
でも、よくよく考えてみたら、世の中とはそういう物かも知れない。
ちょっとした人との違いと少しの努力で、人は社会的な成功を収めることがある。しかしそのあと、その人の行動如何によっては、あとから続く人達が停滞を余儀なくされることがある。
たとえば、会社で出世するために若いころに努力した人が、ある程度の立場になった途端、努力を怠るようになり、下から続く者を邪魔したりするようになることなど。自分を通せ、と無法を要求するものもいる。
高齢者は意図せずそのようになってしまうこともある。所謂、老害である。
現在、私自身はまだまだ努力を惜しまず、動きも早い経営者であると思うのだが、あと10年もすれば還暦が近づいてくる。
今までの経験上、還暦を過ぎると老害化する人が多かった。そんなことを考慮すると、私もそろそろ次の世代の人を育てる時期に入ってきたのかもしれない。
織田信長が散ったのも、私とほぼ同年齢。
まだまだ歩く速さは衰えないが、そんなことも考える時期なのかな。
秩父で山に登るIT経営者より