スマホの通勤に与える効用

電車で通勤していると、様々な人を見かけます。

昔は本や新聞を読んで電車内を過ごす人が多かったのですが、今はスマホを見ている人が圧倒的に多いですね。それはもう圧倒的です。寝ている人以外、ほぼ全員スマホを見ています。

皆さんそんなにスマホを見ていますが、そもそもそんなに情報が必要なのでしょうかね?

確かにYoutubeを検索すると、無限に思えるほど動画情報が出てきます。先日も四十肩の治し方を検索しただけで、本当にたくさんの動画が出てきました。

肩が激しく痛む時期には藁をもすがる思いで見ていましたので、これはこれで重宝しました。ただ、私には必要ない情報もそれこそ無数にあったようにも思います。

もちろん、四十肩の例でいえば、たまたま私の症状に合わない治し方だったというだけなので、役に立たない情報ばかりとは言い切れません。

しかし、これだけある情報について、すべてが検索する人の役に立つわけでもない、ということは言えるかと思います。

無数の情報群の中で必要な情報を取捨選択し、必要なものだけを利用していく。これが今の情報過多な時代に求められる、一般利用者の姿勢なのでしょう。

そう考えると、スマホを行き帰りの電車の中でずっと見続ける、というのも必ずしも否定すべき行為ではない、ということになります。

でも、通勤電車の中でスマホをずっと見続ける人たちを観察していると、ただ単にスマホが手放せない、中毒症状なのではないかと感じてしまうんですよね。

必要な情報を探すのに時間をかけているというよりも、満員電車の過酷な状況から心頭を滅却するためにコンテンツを眺めているといった感じの方が現実に近いように思います。

実際、電車の中だけでなく、目的地に到着した後でもスマホを見ながら歩く人が結構な割合でいらっしゃる現状を見ると、その可能性が正しいことを示唆していると感じます。

話は変わりますが、スマホを見ている人たちって、本当に腹立たしいんですよね。満員電車で人がたくさん乗ってこようがお構いなし。そこの空いている空間、もうちょっと詰めてくれればもうちょっと楽なんだけど!

駅で電車から降りても、ながらスマホで歩く人が通路をブロックして、渋滞を作っているし!

ほんと、迷惑!鉄道会社はスマホを禁止しろ!

最後は図らずも怒りを大放出してしまいましたが、このネット社会、数ある情報の中から自分に価値ある情報を取捨選択し、活用することが経営にも重要という教訓を得た、ということにしてペンを置きたいと思います。

スマホ見て通勤してる人、そんなに怒らないでね。

秩父で山に登るIT経営者より