神社

私は神社に参拝するのが好きです。過去の行動を思い返してみると、半ば趣味と化しているようにも思います。

毎週土曜日に10キロ以上のジョギングをするのが習慣化しているのですが、大体自宅から5キロ前後の神社を目標に、適当に道を決めながら進み続け、到着したら折り返し帰ってくる感じでやってます。最近は東伏見稲荷神社を目指すことが多いですね。

だいたい、到着すると持って来た小銭を賽銭箱に入れ、今週無事であったことに感謝して参拝します。考えてみると、日々仕事があり、食事があり、家があるだけでも素晴らしいことで、そういったことを思い返す良い機会になっていると思っています。

もちろん、神様の存在があるかどうかなどは分かりません。ただ、何か見えないものに感謝をするということが、なんとなく気持ちよいのですよね。

参拝の後は大抵、おみくじも引きます。おみくじで大吉だった、末吉だったなどの結果で、一喜一憂したりもします。

そういえば、本気で神様を信じている人々がおみくじによって決めたことを実行し、大変な事件になってしまった、なんてこともあるようです。士族の乱の一つ、西南戦争の前に起こった熊本神風連の乱など、司馬遼太郎曰く、おみくじによって決行を判断されたとのこと。

ただ、こういった人たちの心理状況は信じがたい面もあるのですが、何かの判断をする前に神様にすがりたい、という気持ちには理解できるところがあるのも事実です。

経営判断をする前など、前が見えない中で思考しなければなりません。そんなとき、何か未来を保証してくれるようなものがあれば利用したい、と思うのは、自然なことだと思います。

皆様も将来を決める時、例えば進学先を決める時、就職先を決める時など、見えない未来に対して何らかの決断をしなければならない局面に立たされたことが、人生の中には何度かあったことと思います。

そのとき、どのように決断しましたか?

いくつかの選択肢に対して損得をそれぞれ計算し、どれが一番得なのかで決める、という手法を取られるのが一般的なやり方かと思います。

でも、私自身、そのやり方はあまり得意ではないんですよね。

なぜなら、そこで考えている損得が、あくまでも予想でしかないからです。当たり前だと思っていたことが、近未来に根底から覆されることが多々あり、予想などはあまりあてにならない、と思っているからです。

私自身、そういったことを実感する経験が過去に何度もありました。

茨の道だと思って進んでみたけれども、実際にはすぐに開けた場所に出て、運が開けたこともあります。
逆に絶対儲かると思って進んだ道が尻すぼみなっていって、どうしようもない状況になってしまったこともあります。

結局、進んでみなければ未来は分からないのですよね。どうやってやるのかも大事ですし。

「じゃあ、お前の会社はどうやって判断してるんだ?」って声が聞こえてきそうです。

私は、どちらが好きか、で判断するようにしています。なんとなく気が進まないことは、利益が出ることでも、やらないようにしています。その気持ちがやり方にも影響してきますしね。

私自身の判断はとてつもなくスピリチュアルな感じになってしまっているようです。

そういった意味で、神社とも親和性が高いのかもしれません。

さて今週末、どこの神社を目指して走ろうかな?

秩父で山に登るIT経営者より

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